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烏帽子形キリシタン

流谷十三仏

河内長野市の超広角な世界

織田信長が本能寺の変で倒れる1582年頃、河内国では三箇城(大東市)・八尾・烏帽子形(河内長野市)がキリシタンの3大拠点でありました。烏帽子形城を守る大名3名のうち伊智地文太夫(パウロ)は熱心なキリシタンで同じ烏帽子形大名の甲斐庄正治を改宗させ、領民300名がキリスト教徒であったそうです。また現在の上田町や喜多町あたりに聖堂が建てられていたようで、配下の武士・領民一万人を帰依させようともしていたようです。戦国時代が終わり秀吉・徳川家の治世でキリスト教が禁止され伊智地文太夫らキリシタン大名が追放された後、烏帽子形キリシタンたちはどこに行ったのでしょうか。和歌山県との県境近くの山間にある流谷地区の十三仏にその痕跡が残されています。十三仏の横下部に「承応二年(1653)十月十五日」の記念銘と20人の信者名が刻され、その中に「テウロ」「シタニ」とキリスト教の洗礼名らしい片仮名の名前が刻まれていました。ところで文字のレリーフが浅いため、残念ながら目視では名前の確認が不可能でした。